昨日の余韻に浸りつつ・・・・
いつか書こうとは思ってたんだけど、今日は俺のこれまでのラリー道を話したいと思います。
ご存知のとおり、私は全日本ラリーBクラスの元チャンピオンである鎌田 豊の息子で
北海道の雄武(おうむ)というオホーツク海沿いの小さな町で生まれました。
小さい頃から、親父にくっついてはラリー会場に顔をだし、あーだこーだと生意気な口をききまくって
いたせいか、北海道のラリー界では名の知れた“生意気なガキ”だったようです。
そんな生意気なガキは、運転免許を取るまではほとんど(微妙な表現・・・)車の運転などは
したことが無く、もっぱら助手席専用おもりとして練習にいつもついて行ってて、
その頃、紋別にあった親父のショップに大学に通っていた奴田原選手がよくきていたので
山へついて行って、クラッシュ・コースアウト・・・・・様々なアクシデント!?も経験させてもらいましたよ。
でも今となっては不思議なもんだね~
ライバルとしてヌタと戦ってるんだから。。。
話は戻って、やっと高校を卒業して(やっとといっても留年はしてないよ)免許を取りラリー活動開始。
その頃、親父は全日本ラリーを走ってたので、前年度親父が使っていたミラージュの4WDを
たしか150万だったかな~
忘れたけど、そのくらいで売ってもらって(5年ローン)ラリーを始めました。
免許を取ってから3ヶ月、忘れもしないラリーデビュー戦。
もちろん初心者マークをミラージュに貼って出場しましたよ。
道南で開催されたラリーでSS距離が20kmくらいだったかな。
今思い出すと・・・もう完全に舞い上がっていたと思います。
っていうか、どう走ったんだか、どんなコースだっのかまったく覚えてません。
気がついたら終わってて、
緊張から開放されたとたん、ものすごい睡魔襲われ、
寝坊して表彰式に出れなかったんですよ。。。起きたらみんな帰り支度してた。
笑えるでしょ そうとうテンパってたよ・・・きっと。
っで、初ラリーの結果は
見事惨敗。。。 初めてのナビ区間(時間通りに走る区間)にてこずり下位低迷。。。
でも、SSだけは速く走れて『ベストドライバー賞』ってのをもらいましたよ。
寝坊したから後で盾だけだけど・・・

その次のラリーでは、ブッちぎっていたんだけど側溝に落ちて初りタイヤを経験。
あっけないリタイヤで放心状態に・・・・
三角表示板を出すことすら出来なかったくらいボケーっとしてた。
記念すべき初優勝はその次のラリー。嬉しかったな~
それも、総合でも最速だったからよけいに嬉しかった。
次の年はステップアップして北海道チャンピオンシリーズに参戦だ~
って言いたいところだけど、残念ながら、昔は免許を取得してから2年間チャンピオンシリーズに
出れないという訳のわかんない規定があって、上にステップアップしたくても出来ない状態。。。
ということで翌年(1994年)もジュニアシリーズに参戦。
4戦中3勝2位1回でチャンピオン獲得。

翌年の6月以降からやっと待ちに待ったチャンピオンシリーズに参戦できるようになり
そこまでラリーに出たくても出れないというウップンが溜まっていたから、
チャンピオンシリーズデビュー戦では、『絶対ブッちぎる』とスタートしたものの・・・・
少しウップンを吐き出しすぎて、30m落ちました。
全損リタイヤです。

《初公開!! デビュー戦でやっちゃったミラージュ》
やった瞬間は、「ああ~金もないし俺のラリー人生終わりか・・・」と思ったけど、
そこは俺の中に脈々と流れているB型血液のおかげで、
次の日には「どうやって次のラリー出よっかな~」
なんて考えてました。。。おそるべし
その後は、柄にもなく転倒の後遺症(その時が初転倒)が酷くてなかなかタイムが出なかった
時期があったけど、その年の最終戦でチャンピオンシリーズ初優勝!!
次の年は、開幕から4連勝してチャンピオン獲得です。
この年(1996年)は、俺にとって大きな転機が訪れました。
この年初めて参戦した全日本ラリー(全日本は免許を取ってから3年経たないと出れなかった)で
なんとかBクラス2位でゴール。
この2位という結果が、当時テインスポーツジュニアチームで世界ラリーに参戦していた、
株式会社テインの市野社長の目に留まることが出来て「海外ラリーを走ってみないか」と
声をかけていただいたのです。
当時、21歳だった私は、初全日本ラリーということで、
「まあ入賞できないにせよ、自分の持っているものは出しきろう」
と考えて全開で走った結果、いつも下りのハイスピードSSだけはトップタイムという、
まあ良く言うと
“若くて元気がいい”
悪く言うと
“怖いもの知らずのバカ”
なところに関心を持っていただいたようです。
ということで、翌年1997年から神奈川県に引っ越して、テインスポーツジュニアチームから
ラリーに参戦することになりました。
つづく


写真が若いね~っう~か・・・ガキだね。
今だから話そう・・・
ジュニア戦デビュー、コース設定したのはオイラなんだよ~
クレスト越えを三回繰り返し安心した頃の三回目越えてすぐCPもオイラの罠だ。
まんまと引っ掛かってくれたね。
地区戦デビュー、オヤジさんに乗ってくれないかと言われたのもオイラ・・・乗るのが怖くて生贄に当時、壊れない頑丈なナビK氏を紹介したのさ~あの時は心底乗らなくて良かった~と思ったもんだ。
思えば、同じジュニア戦で、ちぎられながらも争っていた(?)なんてうそみたいだね~
懐かしい話が満載だな~
30m落ちたのは夕張?三笠??だったっけ???
何せ覚えているのは車が落ちた林道の上から見て「車小さっ」ってくらいしか・・・・
あの頃の北海道ラリー界は若手が沢山出てたよな~
当時、俺の組んでた相棒Mは未だに「俺は昔ラリーやってる時、鎌田卓麻にSSで勝った事がある!」が自慢だからねぇ
もう14、5年前の話なのに・・・・(汗
デビュー戦でダイブしたのは三笠ですよ。
ダムサイドのSSです。
あの頃の私は、どんなにヤバくても1速に入れて全開にしてれば絶対に落ちないって
本当に信じてたから・・・・今考えるとなんて安易な発想だこと。。。
あの時ナビをやっていただいたKさんごめんなさい。
怖い思いさせて。
全部AKTの仕業です。
そのK氏は今、苫小牧の某軽自動車ディーラーに居るのだよ…
しかしだな、落ちた後のコメントが「あ~あ~シート壊れた~」は無いだろう…
彼はあの時が人生初転落だったのだから、まぁ~今の人生が転落しているかどうかは、判らんが…
確かにオイラならシートは壊れずにすんだだろうが、人間が壊れていただろう…
今でも壊れているのだから想像するのも恐ろしい…(合掌)
懐かしい話は尽きないねぇ。。。
俺は今までバケットシート2回、ヘルメット1回壊れてます。全て助手席で・・・・
リタイア後の車引き上げには「鎌パパ」にもお世話になったっけ。
だからねぇ、一時期は完走出来ればOK!って思ってたよ。「あぁ、ゴールするって素晴らしい!」って。
昨日のkiroroで北海道のラリーもひとまず終了。
感想は「なまら寒かった!!」
以上
同じ町内出身だったんですね。(こんな近くにラリードライバーがいたなんて。)
お父さんのショップがあった場所は紋北の近くじゃなかったですか?